後藤を持ちながら

後藤を持ちながら

吹奏楽から仮面ライダーまで

刹那の風呂入れ

こんにちは、トサカです。

 

だんだんと朝晩が冷えるようになってきましたね。まだまだ昼は暖かいのですが、布団を蹴とばしたまま寝てしまうと鼻がぐずぐずになってしまう程度には冷え込んでいます。

個人的に秋と冬の境界線は「冷え」という言葉が適しているかどうかにあると思います。今はまだ「ちょっと冷えるね」くらいで済みますが、冬場になってくると「寒い…寒いよ…冷えきってるよ」としかつぶやけなくなってしまいます。余裕があるかどうかの違いです。

 

さて、この時期に難しくなってくるのが「お風呂を沸かすタイミング」です。

ケロロ軍曹のアニメで一番風呂=ピカブロに入りたくて仕方がないケロロと日向一家の仁義なき戦いが繰り広げられた回があります。なんて小さな戦いなんだとそのときはあきれていましたが、だんだんとピカブロ=あっつあつのお風呂にさっと入ってさっと上がる生活にシフトしていくようになりました。あっつあつのピカブロが最高なのです。

夏場だと、適当なタイミングでお風呂を入れればいつでも熱めのお湯につかることができました。しかし、秋が深まるこの季節ではお風呂を入れだすタイミングに慎重にならなければいけません。

スムーズにピカブロに入るためには、ご飯を食べ始める前にお風呂を沸かしてはいけません。まず間違いなく、お風呂に入るころには湯船がキンキンに冷えています。お風呂を入れるタイミングはご飯を2/3ほど食べ終わった時!このタイミングで沸かし始めるとちょうどご飯を食べ終わって少しゴロゴロした時にいい感じに暖かいお湯がたまっているのです。

勤務が終わり疲れた身体を温めてくれる、お風呂サイコーですね。今日も早くお風呂入りたいな~。

 

ではでは

獣でケガする私たち(ギギゼベガグスパダギダヂ)

こんにちは、トサカです。

 

「獣になれない私たち」第一話を見ました。

実際のところもう二話まで進んでいるのですが、そちらの方はまだ観ることができていません。ドラマを見ようと思って初めて、社会人になると「一時間、テレビの前に座る」時間がなかなか作り出せないことに気づきました。今週末は全く時間が取れないからなんとか二話をどこかで見ておきたいと思っています。

これは、どこか「破綻」してしまっている人々が織りなす群像劇です。苦しさを前に出そうと思ってもうまく表現できないOLである新垣結衣が、そんな自分とすこしずつ決別しながら生きていく…。みたいな話になるのかなぁと考えながら観ていました。

 

第一話のラスト、新垣結衣がこれまでとは全く違う服を着て出社し、社長に業務負担の改善を言い渡すところは完全に「仮面ライダークウガ」第二話でした。もうこれ以上誰かの涙を見たくないと叫びながら、燃え盛る教会の中でクウガに変身する五代勇介(オダギリジョー)と、悲痛な出来事を胸に抱えこれまでとは全く違う装いをする新垣結衣。そしてパワーアップした二人は、目の前の悪い状況を打ち砕けるほどの力が存在していたという点もよく似ています。

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クウガ第二話、観てね

 

さて、「獣になれない私たち」を見ようと思っていることを友達に話したところ、こうした返事が返ってきました。

あれ結構視聴率苦戦しているらしいね。バクシーシ爆死-シ。  

まだぼくはそのとき一話を録画したまま見ていない状況だったので何も言えず、その話はそこで終わったのですが、帰宅した後も気になったのでこのドラマを見た人の感想を色々と探してみました。

すると、結構「一話でリタイア」する方がいてびっくりしました。

多くの方が、「怒鳴り散らす社長と出来損ないの部下に板挟みになっている状況」があまりにも痛々しく、見るのを断念しているそうです。確かにあの辺は見ていて胃が痛くなる描写が多かったですが、ここまでのものだとは思いもしませんでした。

 

クウガを観ていた頃、当時まだぼくは2~3歳でした。まだ右も左もわからないような年齢です。しかし、本気で仮面ライダークウガになろうと思ったことはありませんでした。いくら五代や一条さんやクウガがかっこいいとはいえ、燃え盛る火の中に立てば変身できるなんて考えたことはないし、グロンギ族もこの世には存在しないと信じていました。まだ小さいながらも、作り話と現実との区別ははっきりしていたように思えます。

しかし、そんなぼくでも畏れ慄き、つい最近までその恐怖のイメージに(無意識ながらも)うなされていた回がクウガにはあります。メ・ギャリド・ギというグロンギが出てきた第14話、15話です。

クウガに出てくるグロンギ族という生命体は、人を多く殺せば殺すほどポイントがもらえるという「ゲゲル」を行っています。ルールに則っていかにリント(人間)を殺せるかを競う種族なのです。この時点で、彼らと対話で解決するのは不可能であるとわかります。

このメ・ギャリド・ギというグロンギももちろんゲゲルに参加します。彼はリントの道具を使ってゲゲルに参加した初めてのグロンギです。彼が使ったリントの道具、それは「トラック」です。東京都三鷹市でゲゲルを開始したメ・ギャリド・ギ。彼は被害者を轢いた後、何度も何度もバックしながら丁寧に踏みつぶしていきます。その器用で残忍な方法でメ・ギャリド・ギはどんどんポイントを稼いでいきます。

袋小路に追い込んだ女性三人を追い詰めるときに無機質に流れてくる「バックします」という音声が本当に恐ろしく、今でもたまにこの時と同じような状況に追い込まれる夢を見ます。まっすぐの道の先に行き止まりがあり、目の前にはバックで迫ってくる巨大トラック。押しつぶされそうになった瞬間にいつも目が覚めます。

 

作り物、作り話だとわかっていてもなお恐怖を駆り立てられることがあります。このドラマ、獣になれない私たちも視聴者の底にある「理不尽な恐怖」であったり「どうにもならない現状への激しい怒り」を一話から掻き立てていたのでしょう。それは、やはりこのドラマの脚本や演出が優れているからではないかと考えられます。

村上春樹地下鉄サリン事件についてヒアリングを行った大著「アンダーグラウンド」を書いた時、「腹が立った」「気持ち悪くてしばらく地下鉄に乗れなくなった」という感想を読者からいただいて不謹慎ながらも嬉しく思えたという話があります。ただの本が人の気持ちをここまで揺さぶることができるのかと感動したそうです。このドラマは「ただのドラマ」でありながら人の気持ちをがくがくに揺さぶっていると考えられるでしょう。これからも見逃せません。(早く続き見ないとな…)

 

ではでは。

にほんごであそぼ

こんにちは、トサカです。

 

ブログをやっていると、自分の語彙が貧相であることに驚きます。

これまで自分は語彙が貧弱であることを、「知っている単語が多い/少ない」で計っていました。いろんな人と話し、いろんなものを読み、いろんな考えに触れてさえ行けば、語彙は自然と増えていくと考えていました。しかし、それだけでは足りないことを、実際に文章を書いていくうちにつかめてきました。

語彙があると言えるようになるためには「知っている単語が多い」のは当たり前で、そこからさらに「文脈に合った言葉を使い分けられている」かどうかで判断すべきなのです。自分がたったいま表現したい気持ちがどういった類のものなのかを把握し、それに適した日本語に変換することができる人。これこそが「語彙力のある」人なのです。

 

語彙を鍛えるためによくとられる手段に、類義語の違いを考えるというものがあります。「~だと思う」と「~だと考える」の違いは何か。「自立」と「自律」の使い分けは?こういったことを空いた時間に暇つぶしの要領でやっていきたいなと考えています。ちなみに「考える」は「思う」に比べて選択の余地がある状態を、「自律」は自らをコントロールしている状態で、「自立」は自分でできるという状態をそれぞれ表しています。

最初の文にある「貧相」という単語にも、「貧弱」という類義語があります。この文章では言い換えが可能です(自分の語彙が貧弱である)が、ではこの二語が全く同じ意味かと言われるとそうでもないです。吸血鬼は相手を凍らせながら「貧相貧相ゥ!」なんて言わないですよね。みすぼらしさやみじめさを表すところでこの二つの単語の意味は重なりますが、貧相では身なりが、貧弱では体つきがその言葉の対象となっています。それぞれが何をみすぼらしいと感じるかによってこの言葉は使い分けられるのです。

 

こう考えると、何気なく使っていた言葉でも無限に遊べるように思えます。皆さんも暇なときはぜひやってみてください。

 

ではでは。

記憶を失ったヒーロー ~アクセスコードは②~

こんにちは、トサカです。

 

グリッドマン第2話「修・復」、面白かったなぁ…。

というわけで、飽きもせず今日もSSSS.GRIDMANについて書いていきたいと思います。第1話の感想はこちら。

 

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第2話では、主題歌が解禁されました。ヒーローが悪に立ち向かっていく超絶王道のオープニングに、ぼくがそのシーンに出会ってしまったら見つからないようにその場を離れてしまいそうなくらいに、メインヒロイン二人が仲良くしてるエンディング。どちらも爽やかさの中に熱を持っていて、すごくいいです。すごくいいんです…。

また、謎だらけだった1話から少しだけ物語も進展しました。街に怪獣を送り込んでいる「武史くん」ポジションが誰かが判明し、「修復」されたものとされなかったものの線引きがだんだんとわかってきました。果たして失われたものはもう帰ってこないのか。主人公たちはどのように物語に救済を与えるのか。今からワクワクしています。

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さて、第二話でも街が怪獣に襲撃されます。「グリッドマン同盟」である主人公たち3人にとっては「二回目」の襲撃なのですが、怪獣を前にとった彼らの行動がなかなか興味深いものとなっています。

まずは内海君。彼はもともとウルトラマンシリーズが好きということもあってこの怪獣という非常事態を「非日常」として楽しんでいます。裕太が街を救うグリッドマンに変身したところをみてはしゃいだり、ノリノリで怪獣が現れた謎を「解き明かす」という言葉を使ったりなどからその興奮っぷりが伝わってきます。

続いて六花ちゃん。クラスメイトが「修復」されなかった事実にショックを受け、これ以上何も壊されてほしくない、だからグリッドマンには戦ってほしいと願いながらも、裕太が変身してその身を危険にさらすことにも否定的です。戦いが終わった後真っ先に友達に電話をかけ、その無事を確認して安堵する姿を見てこちらもなんだかほっとしました。

怪獣とそれを倒すヒーローがいる現状を楽しむ男の子と、手の届く範囲の心配を真っ先にする女の子。キャラクターのデザインや声は少し大人びてはいるものの、その行動は少し青くて昔を思い出します。ただ、主人公である裕太だけは少し違います。

記憶喪失で、これまでのことを何も覚えていない裕太。彼は怪獣が出たとき、真っ先にグリッドマンに変身するため、ジャンクに向かおうとします。そのあまりにもさらりと自己犠牲をやってのける態度に内海君はかなり動揺し、いったん彼を引き留めますが、裕太は淡々と「ぼくが戦わなくちゃいけない」と諭します。その強引さと新キャラのサムライさんの説得により、六花ちゃんもジャンクに向かって走ります。戦う覚悟を決めた六花ちゃんの顔が非常に凛々しくて、この回で一番好きなシーンです。

たった三人にフォーカスを当てても、怪獣という現象に対し全く違った反応を見ることができます。このシーンを見てぼくは、このアニメが真摯に「怪獣」と向き合っていることを再確認できました。

 

さて、「記憶喪失」であり、「自己犠牲により正義を執行する」裕太ですが、ぼくはこのキャラ設定に既視感があります。ついこの間もこんな話を観たぞ…。

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そう、てぇんさい物理学者の桐生戦兎です。

仮面ライダービルドの主人公である桐生戦兎は「ラブ&ピース」の名のもとに戦うのですが、気のいい喫茶店のマスター「石動惣一」に拾われるまでの記憶が存在しません。仮面ライダービルドは、桐生戦兎の空白の二十何年かの記憶はどこにあるのかを探していくうちに、巨悪と戦わなければならなくなるという話です。

 

彼も記憶喪失であり、また自己を厭わず愛と正義の名のもとに戦うヒーローでした。

この二点において、二人はよく似ています。危険であると知りながらも変身し、人々を守るために戦う。危ない領域に陥ってまでも自己犠牲を行っている人をぼくは陰で「サイコパス善人」と呼んでいるのですが、まさにこの二人はそう呼ぶのにふさわしいような造形をしています。

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桐生戦兎の自己犠牲っぷりはこちらの記事でも書いたのですが、そのときにぼくは「アイデンティティの欠落」が善人サイコパスっぷりを加速させているのではないかと推測しました。記憶を失い、身元もわからないので積み上げてきた人間関係がないから自己を上手く定義できない。だから自分の方が無茶できると考えていました。

 

でも、グリッドマンの裕太を見て少しだけ考え方が変わりました。彼らにとって、自分が必要とされていると一番実感できる時間が「ヒーローに変身している時」なのです。

 

裕太の家族は今近くにいません。三か月ほど両親が海外へ旅行に出かけているそうです。(街の被害の受け方を見ると、彼の両親に対してあまりいい想像はできないですが…。)自分のクラスにいれば一応他の生徒から声はかけてもらえます。しかし、ほどほどの付き合いをしているからかクラスに対する帰属意識はあまり高くないと思えます。つまり、密な関係を結べているのは上に挙げた二人、つまりグリッドマンとしての活動だけなのです。

今のところ、街を救うことができるのはグリッドマンと融合変身できる裕太だけ。彼がいないと実体化できないため、グリッドマンはただただパソコンの中で喋るおじさんになってしまうのです。つまり、彼がやらねば街は壊滅してしまうのです。記憶喪失の状態でいきなりこんな状況だけを手渡されたら、そりゃあ「変身」しちゃいますよね。自分が記憶を失うことで社会とのつながりが断絶された時に、こういった「使命」を与えられたら、多くの人がその「使命」に入れ込んでしまうと思います。

ちなみに、仮面ライダービルドでも桐生戦兎が平和のために戦うという「使命」が与えられますが、そこに没頭せざるを得ないところまで彼を追い込み、自分の野望のために諸悪の根源が主人公を利用するという展開でした。裕太には戦兎くんのようにその純粋で狂気的ですらある善意を利用されないよう気をつけてほしいです。いやまじで。

 

さて、巨大化した特撮物では敗北は許されません。ヒーローの敗北は街の壊滅と同義です。

今日の夜から放送されるグリッドマン第三話、タイトルは「敗・北」。どうなるか楽しみです。

 

ではでは。

悪の定義

こんにちは、トサカです。

 

神 :最低でも240万

悪魔:10

 

これは、聖書の中でそれぞれが殺した人の数です。さらに、これに加えて神は洪水や飢饉、疫病などにより間接的に人を殺しまくっているので、この数値はひょっとすると10倍程跳ね上がる恐れもあるそうです。当時の人口を考えると、とんでもなく大規模な殺戮だったことがわかります。

数だけを見れば神の方が「悪」だと思われますが、決してそれは殺戮を行いたいという身勝手な理由ではなく試練のニュアンスが強いのでしょう。しかし…。

 

今読んでる本で、「悪という気持ちを抱いたまま人を殺すことができる人は少ない」という話がありました。自分が悪であることを自覚している人は多くの人を殺せないし、そこまで悪いこともできない。自分の行いを前にして挫折してしまうそうです。

逆に、自分が正しいことをしていると感じているなら、人はどんなことでもできるとその人は語ります。反論してきたひょろひょろの同級生を殴ってもいい。なぜなら彼は俺に口答えしてきた「悪」だから。戦場に立つ相手をはちの巣にしたっていい。なぜならこれは正義の名のもとに「悪」を駆逐しなければならないから。地下鉄で毒ガスをばらまいてもいい。なぜならこの世界の「悪」を我々の手で浄化しなければならないから。

自分のやっていることが「正義」の名のもとに正当化されていれば、自身の行いに対する重石、または自制心がふっと取れて心も体も軽くなります。その状態を、人は「悪」と呼びます。

 

アメコミ好きの友だちが、「マーベルの悪役は自身の信念に基づいて行動を起こしているから、自分のことを悪だと思っていないところが好き」という風に語っていました。この話を聞いてぼくは、あらためて「悪とは何か」を考えています。

たぶんぼくの中での「悪」の源流は、「魔人探偵脳噛ネウロ」に出てきた「シックス」だと思います。人を殺す兵器を7000年にわたって作り続け、跡取りを「悪意の強さ」で決めてきた結果生まれてきた「新しい血族」の申し子。新生児だった彼に剃刀を持たせれば同じ部屋にいた他の赤ん坊を全て殺し、わずか五歳で両親に手をかけます。人に不快感と絶望を与えることを生きがいとする彼に、主人公たちがどう立ち向かっていくのか。胸のあたりをずきずきさせながらもリアタイで読み切りました。

 

「悪いことをする」ことを自身の生業とし、その重荷に平然と耐えられる人や組織を「純粋なる悪」と呼ぶならば、最近ぼくが触れた創作物では仮面ライダービルドのラスボスくらいです。という風に考えると「不純な悪」には、裏に悲しげな過去や理路整然とした理由があります。では、純粋な悪と比較した場合に不純な悪は許されるべきなのか。その人自身から見れば立派な正義であるその行為は、どこまでが正義と呼べるのか。

 

この辺を考え出すと本当に夜眠れなくなってしまいます。そして朝が辛い。

なので今日はこの辺で考えるのをやめようと思います。もう少しこの話が熟成したら、また書こうと思います。

 

ではでは