家計簿という重労働
こんにちは。トサカです。
最近家計簿をつけ始めたので、今日はそれについて書こうかと。
たまらない、金
大学時代、自分は親のすねをかじり、しゃぶり、崇めていました。
バイトは一応学童保育をやっていましたが、月収一万を超えれば万々歳、というお気楽なものでした。
また、出費に関しても細々と、しかし着実に使っていたので、貯金なく大学生活を終えてしまいました。
自分は、お金に真摯に取り組む気持ちが湧き起こせなかったので、きちんと管理できる人、お金の扱いが上手い人たちのことは今でも尊敬しています。
まぁ、そんなこんなで、金がなかなかたまりませんでした。
独り
さて、こんなだらしない自分も社会人になりました。
個人的にこれまでの大学時代との一番の違いは経済的な独立性だと思っています。
手に入れられる金は自由に使っていい。
ただしその結果生まれる責任も自分で負う必要があります。
(ちなみに今読んでる本では「ここで言う『責任』は幻想ではないのか」という主張がなされています。どういうこっちゃ。速く続きが読みたい。)
自分でキャッシュフローを管理しないと死につながる…。
そんな危機意識から、家計簿をつけるようになりました。
面倒
率直に言うと、家計簿めっちゃめんどくさいです。
・財布を開け
・レシートを引っ張り出し
・iPadに記入
これまでの生活にはなかった習慣なので、こんな簡単な3ステップでも非常におっくうに感じます。
4月から始めて、何とか今日まで続けていますが、今日もいやいや家計簿をつけました。
でも、めんどくさいからこそいいんです。
自分がいかにささいな出費が多かったかがよくわかるからです。
例えば、コンビニに行く機会が減りました。
大学時代は出先にふらりとコンビニに立ち寄って、飴やちょっとした飲み物を買うことが多かったです。
でも、家計簿をつけてから「果たしてこの商品はレシート1枚広げて金額を記入するという『重労働』に見合う価値はあるのか…。」と考え、買うのを思いとどまることができます。
細やかな買い物が増えるほど、ささやかな出費が増えるほど、家計簿という重労働が増える。
こんな単純でしょうもない事実が、自分を自制心ある立派な社会人に一歩近づけてくれていると思います。
めっちゃ面倒だけど嫌いではないので、これからも家計簿をつけていきたいと思います。
ではでは。
(41:40)