穴が開く という言葉
こんにちは、トサカです。
「胸に穴が開く」という比喩が好きです。
精神世界と穴。
全く別のものを表しているのに、言葉の力によって二者は美しいつながりを得るのです。この関係性がたまりません。
自分は「複数の段階で共通性がある」比喩が好きです。
その点、この「胸に穴が開く」は頭一つ抜けた比喩だと考えます。
胸に穴が開いたような
-心が喪失感 で占められるさま
-虚しいような心境のこと
自分の精神的な何かを失ってしまった心境を表すのに、金やら愛やらではなく、穴という例えを使うそのセンス。
最初に誰が言い始めたかはわかりませんが、惚れ惚れします。
この言葉が喪失感を示すのにあまりに適切すぎて、悲しいことがあった時、いつもは見えないはずの心が、スコップか何かでえぐられてしまうのを想像してしまいます。
学校で物を隠されたとき、お気に入りのものが壊れたとき、他人から期待をされなくなったとき。
そんなとき、自分の心というふかふかの土にスコップが突き立てられ、一気に土を持っていかれてしまうイメージをしてしまいます。
これが「ぽっかりと開いた穴」と書くと、自分の中で全く違うイメージが思い起こされます。
ぽっかりという言葉の持つかわいらしさから、どうしてもクッキーの型のようなものでくりぬかれるという想像をしてしまいます。
悲しいはずなのにどこか抜けたような、何かおいしいものが出来上がるような予感がします。
自分が抱く悲しみのイメージとはちょっと違うけど、悲しい気持ちと楽に向き合いたいときはこういう言葉を使うのもいいですね。
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この比喩では、問題だけでなく解決策まで見事に精神世界とリンクしています。
基本的に、掘り起こされた心は元に戻ることはありません。
心を構成していた土はその辺に捨てられたり、持って帰られたりします。
ぼこぼこになってしまった土壌は、歩くことさえ一苦労です。
でも、完全に元には戻らなくても、その穴を埋めることならできます。
辛いことによって穴をあけてしまっても、日々の生活をすごしているうちに土は自然と集まってきます。
自分の土地から引っ張ってきたものもあるだろうし、他の人からもらえたものもあるでしょう。
どこの土かもわからないものをまぜこぜにして、心は平坦にならされていきます。
問題の発生(穴が開く)から回復の仕方(穴を埋める)までの経緯がそのまま心の状態にも当てはまる。
ここにこの比喩の素晴らしさがあると思います。
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たまに、ごくまれに、オリンピックや日暮警部のこち亀出演よりもまれですが、楽観主義の自分の精神世界に隕石が降ってくることがあります。
どでかい穴が開きます。クレーターレベルの穴ですね。
こんなのがいきなり現れてさぁ大変。急いで復旧作業に当たります。
しかし、焼け石に水。いくら底の見えない穴に土を入れたところで、埋まる気配が見えません。(星新一のショートショートにこんなのありましたね)
そんなときどうしているか。実際にクレーターがある街を見てみましょう。
地獄の門と呼ばれる「燃え続けているクレーター」。
観光客も多く訪れているそうです。
埋めることができないんなら、この穴とともに生き、いっそこれを活かしてしまおう。という発想でしょう。
開いてしまったクレーターをとともに生きる。
時たまこれを糧にして、現状を切り開く。
これも一緒ですね。
抱えきれない喪失感と共に生き、それによって強くなる。
精神世界の状態と穴は、言葉によって様々な共通点が見出されます。
その関係性が実に美しい。
ではでは
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