後藤を持ちながら

後藤を持ちながら

吹奏楽から仮面ライダーまで

北極星

こんにちは、トサカです。

最近演奏会に行くことが格段に増えたので、必然的にドラムの演奏を聴く機会が増えています。

いろんな演奏を聴いて比較していくと、「どんな演奏を目指すべきなのか」という目標がより明確になっていく感覚がありました。今日はそんな話をしましょう。

 

目指すべきドラマー

 

この曲のドラム叩いている方上手いな。と一口に言っても、その実態は様々です。

ソロでめちゃくちゃ手足を動かせる人。

リズムを正確に刻んで、周りを安心させる人。

首を痛めてライブ中にダウンしても、そのまま紅を叩ききる人。

 

その一点だけに特化している、一つの要素しかもっていない、というわけではありません。

上手いと言われる人たちは、割合は違えどこれらの要素を少なからずすべて持っています。その中で、どのパラメータが秀でているのかによって個性が現れます。

 

自分が理想としているドラマーは、「ドラムらしい音」を鳴らすことができる人だと考えています。

その中で、自分は「ドラムらしい音」に関するパラメータをあげるようこれまで演奏経験を積んできたように思えます。

 

では、「ドラムらしい音」とは何か。ちょっと高校生の頃を思い返しながら話していきたいと思っています。

 

4tomじゃないのよドラムは

 

バンドでギターを始めたものの、あまりにも下手だったくせに激むずな曲ばかりやりたがってしまい、結局音楽性の違いで解散してしまった高1の冬。

ロックばかり聴いていた自分は、どうしても楽器の演奏がしたいと思い立ち、高2の春に吹奏楽部に入りました。

 

最初は基礎練に集中すると決めていたので、コンクールに出る機会も後輩に譲り、ひたすら一人で「どう叩けばいいのか」と試行錯誤していました。

そんな感じだったので、合奏中は人の演奏を座って聴くということが多かったです。

もちろん吹奏楽なんてジャンル全く知らない(当時はクラリネットオーボエの区別すらついていなかった)ので、何が良くて何が悪いかなんてわからなかったのですが、ドラムにだけは「引っかかり」を覚えていました。

 

叩く機会をもらえるようになって、考えながらドラムを演奏するうちに、自然と自分の叩く音が「引っかかりのある音」に近づいていることに気づきました。

それは自分がドラムを「ドラムとして」ではなく「統一性の無い面楽器群」として叩いているから、ということに気づきました。

 

ハイハットを八分で刻む、

スネアが二拍目と四拍目に入る、

バスドラが四分音符で入っている、

これらの音たちが、まるで複数の素人が「せーの」で合わせて演奏しているかのように不統一に鳴っているのです。

 

統一感のなくなってしまった一番の原因、それは音量バランスです。

ハイハットが、スネアが、バスドラが、トムが、シンバルがおんなじ音量で鳴っている。そうすると、音数が多くて音飛びがいいハイハットが一番に抜け出てしまうんですよね。

一年くらい練習して、ようやくまともにドラム触れるようになった喜びでついついどかどか演奏してしまったので、音量バランスが均一、つまり細かい音ほどバンバン前面に押し出される下手くそドラマーが生まれてしまったのです。

 

この原因に気づいたのは、大学に入り4tomを演奏会のメイン曲で叩かせてもらった時です。

4tomを叩く感覚でドラムを叩いてしまうと、ついつい「すべての太鼓を同じ感覚で鳴らす」ように身体を動かすことを考えてしまい、「ドラムっぽさ」に欠けた演奏になってしまうことに気づきました。

そこから、どうすれば普段聴くようなドラムの音に近づけるか、ということを考えながら演奏してきました。

 

自分の考える「ドラムらしい音」を出せる上手い人とは、「理想の音量バランスで、かっこいい8ビートを叩ける人」です。

自分はこの点にばかり気をかけて、大学の四年間演奏してきました。

 

ドラマーは曲の大部分において目立つべきではない楽器だと思っています。

ソロの時は注目を集めますが、それは長くても30秒くらい。超絶怖いハゲの先生にシンバルを直してもらいながら5分近くドラムソロをするなんてことでもない限り、長時間注目を集めることなんてありません。

ドラムは淡々とビートを刻むべき楽器なのです。

音楽でメインとなるべきはメロディ。それらは明るく輝いています。彼らよりも光り輝くドラミングプレイをしてしまうと、聴衆は集中を乱されてしまう。

淡々と振る舞うべき時には目立たない、しかし奏者、聴衆のいずれが聴いても存在感のあるプレイングができる。

そんな北極星のようなドラマーが自分の達したい境地なのだと最近考えています。あぁ~ドラム叩きたくなってきた。

 

ではでは