後藤を持ちながら

後藤を持ちながら

吹奏楽から仮面ライダーまで

地続きの曲

こんにちは、トサカです。

 

最近、通勤中によく音楽を聴きます。

ここ最近は、ストリーミングサービスである「Spotify」でいろんなジャンルの音楽に手を出しています。このアプリのおかげで、名前は聞いたことあるけどこれまで聴いてこなかったバンドや埋もれていた名演と手軽に触れ合えるチャンスを得ることができました。

CDを買う、もしくはレンタルをすることで音楽に親しんでいた自分にとって、この「音楽との距離の近さ」はあまりにも魅力的なものでした。月額980円で、ただで音楽を聴けるというすばらしいガジェットでした。

 

ただ、「これまでよりもたくさんの音楽に触れられる」ということは「これまでよりも一曲の音楽を聴き込む時間が減ってしまう」ことと同義です。

聴きたい音楽が増えれば増えるほど、これまでの好きな音楽を聴く時間が減ってしまう…。贅沢な悩みです。

 

現在、自分の生活に音楽が入り込める隙はそんなに多くありません。間違いなく供給過多です。

でも、そんな状況でも頻繁に聴きたくなる曲が何曲かあります。

今日はその中でも「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第三番」について書こうと思います。

 

 

 

ピアノが主題を静かに、淡々と歌いながら曲は始まります。その独唱が終わると、ピアノはさっと表舞台から飛び降り、伴奏としてバンドを駆け巡ります。

基本的にこの曲は「地続き」です。さっきまで感動的でゆったりしたメロディを奏でていると思ったら、次の瞬間には少しおどけたようなパッセージに変わっている。そしてふと気がつくと、暗くて寒い墓穴の中に埋まってしまったような物悲しい音楽になっている。表情が全く違う音楽が、地続きに途切れることなく流れてくるのです。

初めてこの曲を聴いた時、ぼくはそのスピードの速さに置いていかれてしまっていました。そして、この曲繰り返し聴くうちに「置いていかれる感覚」が癖になってしまい、知らぬ間に魅せられていたのです。

 

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この曲にはピアニストの腕を試すような「大カデンツァ」があります。平たく言えば「すごいソロパート」です。

第一楽章の終盤にかけて(この動画なら10:20~12:30まであたり)すさまじい和音を弾き散らします。一番盛り上がる箇所で主題が帰ってくるのですが、その瞬間のカタルシスと言ったらないです。

 

ただ、この曲を好きになってから一年ほど好きたと思うのですが、いまだにいつこの「大カデンツァ」が始まるのかを聴きながら認識できません。もちろんあとから確認すればどのタイミングで始まったかはわかるのですが、上質で地続きな音楽に10分近く打ちのめされていたら明確にいつ大カデンツァに入ったかなんてわからなくなります。

何にも考えず聴きだすと、たいてい11:20くらいのところまで来て初めて「あ!いまピアノの人めっちゃすごいフレーズ弾いてる!」と気付きます。その箇所になるまで「ピアニストの超絶ソロ」だと感じさせないくらいに、「一つの音楽」として完成された曲なのです。そして、どの楽器が音を鳴らしているかを考えさせないほど没入することができる、稀有な曲でもあります。

 

ちなみに、この曲で一番好きなところは21:20あたりから展開です。ピアノが寂しげで激しいフレーズを弾いているところに、弦楽器が寄り添うような伴奏を奏でることで、突き抜けるような明るい曲調になる。ぜひここは生で聴いてみたいです。

 

ではでは

 

(1:16:18)