後藤を持ちながら

後藤を持ちながら

吹奏楽から仮面ライダーまで

捨ててきたもの

こんにちは、トサカです。

昨日は病院に行ってきました。

avoirgoto.hatenablog.com

普段は電車に乗らない生活をしています。なぜなら人混みが苦手だからです。

ぼくの出身地である宮崎では、満員電車なんて元気のないアントニオ猪木くらい珍しいものでした。朝のラッシュを見るたびに、「何も知らない宮崎県民があの中にワープしたら憤死しちゃうんだろうな」と考えています。

昨日も、大阪から神戸大学病院まで行くのに、戦術とかなりの覚悟を決めてから向かいました。その結果、なんとか人にもまれることなくするすると辿り着くことができました。

 

そして、立ちっぱなしの時に読書がはかどることに気づきました。きょうの大きな収穫です。

座りながら読んでると、集中が散漫になって考えていることが様々な方向を向いてしまうのですが、立ちながら本を読むと不思議と「読む行為」に集中できます。自分でもびっくりしながら読んでました。

ただ、電車の中という慣れない環境だったためかすぐにつかれてしまいました。今度家の中で立ち読みしてみようと思います。

 

さて、今日読んだのは花村太郎の「知的トレーニングの技術」です。

 

この本を最後に読んだのは大学四回生の三月、つい最近でした。当時は「なるべく効率よく、ラクして頭よくなりたい」という邪で愚かな考えを持って本を読んでいた時期だったので、「知識をラクにとりこむ」ことばかりに着目して読んでいました。

現在は「取り込む」だけでなく「吐き出す」作業もしています。今日はこの本を「吐き出す」視点から読むことができました。

 

「トレーニングの技術」とあるように、この本ではまさに「動かす」ことを要求してきます。座ってただ口を開けていても知的技術は身につかない。泥まみれになって初めて力がつくんや、というスタンスの本です。

読んでいく中で、面白そうなトレーニングを見つけました。「文章によるスケッチ」というものです。

ルールは簡単。今日あったことを細部にわたって描写してみるというものです。

これを繰り返すと、周りのものを観察する癖がつき、また、ささいな物事にも気づくことができるようになる。らしいです。

早速やってみようと思い、病室で待ちながら今日の電車を思い返し、なるべく覚えてることをメモに書いてみました。それがこちら。

 

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内容うっっっっす

全然周りのこと見てないじゃないか。就活の時「落ち着いてまわりをよく見ることができます」と自信満々に言っていたあの頃の自分にドロップキックしたくなるレベルでダメダメです。

最後のTシャツの下りとか流れを無理やりにしてなんとかいいこと言いたいだけ。そもそもこれだとぼくの周りしか人いない電車なの?

 

これ、見返してみると全然だめで驚くんですけど、実際にこれくらいしか書けなかったです。ぼくらが生活していく中で「必要のない情報」を無意識に切り捨てていることに改めて気づきました。

たとえば、人が多い場所、梅田駅のビッグマン前で待ち合わせをする場合、「必要のない情報」を切り捨てている人は、待ち合わせの相手だけ探すことができます。

しかし、この能力がないと迫りくるたくさんの人の顔や、すぐ近くで走る車や客引きの声など、普段扱うことのない量の情報が脳に雪崩れてきて、そこで立っているだけでひどく疲弊してしまいます。

 

捨てることができない人に比べると、多くを捨てて最小限度の認知だけで生活しているぼくの方がやや健康だという気もしてきます。でも、物を書いてみると、「捨ててきたもの」にこそ輝きを見出せることに気づきました。

一度捨てたものを拾うのは大変ですが、やっていきましょう。

 

全然関係ないんですけど、今日半休使ったせいで来月の給料(もらえるのは再来月)が減っちゃうの悲しみしかないですね。やっぱ健康が一番なんや…。

 

ではでは

 

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