後藤を持ちながら

後藤を持ちながら

吹奏楽から仮面ライダーまで

Birthday

こんにちは、トサカです。

ぼくは、夏休みの宿題を後からやるタイプでした。

後半で苦労するとわかっていながらも遊んでしまい、結局最終日に泣きを見る。そんな小学生時代を過ごしていました。

 

勉強しなければならないはずなのに、いや、勉強しなければいけないそんなときほど、妄想ははかどります。

「こんな時にいい感じに身体が二つになってくれたらなぁ~。」

こんなしょうもないことを考えている間にも、夏休み最後の一週間は無慈悲に過ぎていきます。毎年なんとか遅れずに提出できましたが、その後の授業は疲れからか全く頭に入りませんでした。

 

でも、夏休みの宿題が終わらないぼくが強く望んだせいで、本当に自分の体が分裂したらどうなるのか。

誰とも交配をせず、ひとりでに増えるということなので無性生殖でしょう。胞子をまき散らしてそこら中から自分が出てくるなんてことはないと思うので、やはりほうほうとしては分裂が人間にあっていると思います。人間もプラナリア先輩を見習って、文字通り身を切れば分裂できるのでしょうか。痛そう。

 

では、分裂できたとして、その後の生活はどうするのか。

食費は二倍にかさみ、急きょもう一人分のベッドや勉強机、自転車を買わなければならないとなるとだいぶ金がかかります。

また、こちらの都合で呼ばれたので間違いなく向こうは強い態度でぼくと交渉を行うでしょう。こっちが楽したくて呼んだにもかかわらず、まさにその点をつかれて苦しむ未来が見えます。

「体が二つあるなら 僕はもっと凄いことをやっていた」

なんて曲があったけれども、体が二つになったらもっと大変な未来がやってきそうですね。

 

以上を踏まえると、夏休みの宿題程度のために分裂なんてやってられない、というのが、大人になった僕の考えです。

昔の頃とは違い、非常に現実的で地に足が着いた考え方ができていると思います。

 

小学生の頃は、割と本気でスパイになりたかった自分がいました。ミッション・インポッシブルのトム・クルーズを観てそう志したのですが、その夢は、星新一が描く「現実と地続きのSF」によって粉々に砕かれてしまいました。

そこから程度の差はあれど、何度も何度も「なりたかった自分」とのギャップに苦しみながら今日をすごしています。

もっとまじめにバスケをしていれば、もっと早くから音楽を志していれば、もっとあの人と話せていたならば。いまふりかえってみると「なれなかった自分」のほうが多いんじゃないかと思います。

 

でも、「なっちゃった自分」が暗く悲しいものかというと、全然そんなことはないんですよね。才能やらはないけども、今の交友関係を、今の自分の状況を掴み取れるだけの運は勝ち取ることができたんだと思います。結果オーライですね。

 

なんだかんだ今日も素敵な日にできそうです。

頑張って生きましょう。

ではでは。

 

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