後藤を持ちながら

後藤を持ちながら

吹奏楽から仮面ライダーまで

力を抜いて

こんにちは、トサカです。

打楽器奏者が言われたことがあるセリフ第一位は「太鼓の達人上手いんでしょ!」ですが(ぼくは下手です)、先輩から言われるセリフとして多いのは「脱力して」だと個人的に考えています。

 

脱力。それは魔法の言葉。

真理であり、事実でありながら、初心者はただ困惑するしかないセリフ。

脱力…?そもそも力を入れないとスティックは握れない。力を抜いた状態でどうやって物を持つんだ?フォースとか?

初心者の自分にとって「脱力」という言葉はよくわからないものでした。説明しきれないからこの言葉使っているんじゃないの?とさえ思う日もありました。

 

ただ、曲がりなりにも打楽器を続けていると、その「脱力」の意味が分かってくるようになりました。

余分な力が入ってしまうせいで正しくスティックに腕の重さが伝わらない、変なところで力の流れが滞ってしまうので、結果的に貧弱な音になってしまうことが、最近になってようやく「実感」できました。頭ではわかっていても、実際音を変えるのには二、三年はかかりますね。

指を最大限に使ってスティックの跳ね方を利用し、鎖骨から動かして腕の重みを使い音を鳴らす。これを意識させるために一言でまとめたのが「脱力しろ」という言葉でした。

 

最近よく「頭がいい人ほど話を短くまとめられる」という話を聞くのですが、個人的にその風潮には疑問を抱いています。

もちろん、自分の話したいことがはっきりさせていて、かつそのなかで要点はどこかをきちんと把握し、それを端的に発信できる人は頭のいい人だと思います。ただ、世の中の「問題」ってそうそう「簡単に」まとめられるものではないと思うんですよね。

ばりばり文系のぼくらに対して特殊相対性理論を短くまとめて説明するとなると、おそらく使われるのは比喩でしょう。理解を助けることにこそなれども、それは「特殊相対性理論」そのものではありません。

 

問題を理解するためには、問題の背景や前提知識など、こちらが学ぶべきことがたくさんあります。それらを全部すっ飛ばして、「相手の話を聞けば問題の全容がわかる」という考え方は非常に危険だと思います。

最近この考えを聞くとき、「相手の/自分の話さえ聞けばすべてがよくなる」という無意識の前提がある状況をよく見るようになりました。それはちょっと危ないんじゃないかな…。難しいといわれてることは、すぐに理解できないから難しいのです。

 

というわけで、最近は「小難しいほかの人の意見と違い、わかりやすい主張」には極力ふれないようにしています。

 

  1. ではでは