後藤を持ちながら

後藤を持ちながら

吹奏楽から仮面ライダーまで

桜の見せた幻想

こんにちは、トサカです。

みなさんが高校生だったころ、学校はマンガ持ち込みOKでしたか?

ぼくがいた高校では、当然のごとく駄目でした。

禁止されればされるほどその蜜は甘いもの。当時何の脈絡もなくハンターハンターにはまってしまい、こっそり学校に持ち込んで部活のない放課後に読んでいたら、四、五人くらいのクラスメイトにその熱が広がってしまったのを覚えています。ごめんなさい。

 

そんな学校でしたが、担任の先生が唯一クラスの棚に置いていたマンガがあります。

ドラゴン桜」です。今日は、まずはこの漫画の紹介から始めましょう。

 

経営破綻となった高校、「私立龍山高等学校」の立て直しを依頼された弁護士、桜木建二は、評判を上げるために一番いいのは「進学率を上げること」と断言し、東大合格者を五年後までに100人出すと宣言します。

手始めに、その辺にいた水野直美と矢島勇介を特進クラスに入れ、彼らを東大に合格させると宣言します。残された一年で、二人は東大に入ることができるのか。という話です。というか、その辺くらいまでしか覚えていません。なぜか。それはこの漫画に恐怖を抱いたからです。

 

勉強にかかわらず何かを極めようとするとき、どんな方法を取るにせよ、ある程度練習を繰り返し続ける必要があります。つまり、極めようとする物自体に対し並々ならぬ情熱、あるいは執着を持っていなければなりません。

このマンガでは、様々な勉強方法が紹介されていました。少なくとも二巻まではそうです。何故その勉強方法をするのかという理由が非常に明確で、かつ効果がありそう、そして、何よりもその勉強方法が面白そうなのです。

世の中を「斬る」弁護士先生と、衝突しつつも伸びていく生徒の関係性を見ていくほかにも、実際の生活に役立つ、面白そうな勉強法を「学ぶ」という楽しみ方がありました。あれ、なんか俺でも東大合格できそう…!とか思えてきた!

そう、このマンガは「読むだけで賢くなった気がする」のです。「勉強したような錯覚に陥る」のです。

 

面白い勉強方法を「学び」、それを「ちょっとだけ」真似することで賢くなったと思い込むその自分の様子は、まるでスピッツのチェリーのようでした。いい勉強法を知っただけで、賢くなれる気がしていた自分がいたことに気づいたのです。

また、落ちこぼれてしまい、今は「まだ」合格なんてできそうもない主人公と自分を重ね、彼らが成長したら自分も成長「したと勘違い」していまいました。主人公に強く共感させることができるほど、話の構成が上手いのです。

 

この物語が「マンガ」という形式をとっている以上、読者を飽きさせないようにいくつもの違う盛り上がりを持ってこなければなりません。

でも、先程も書いたように、何かを極めるには反復が有効です。毎日数学の問題を解き、毎日英語の日記を書いて…というようなルーティーンは物語としては「地味」です。地味ですが、絶対に欠かせない要素です。

教室に置いてあったのは単行本です。一気に読んでしまえるせいで彼らのその勉強の成果が「割とすぐに実ってしまう」のです。数々の魅力的な勉強法のサンプルが目の前にあるのに、一番重要な「続けてやってみる」ことが実感できないせいで、「身にならない」のではないか。なんてことを考えてしまっていました。

 

この漫画を二巻まで読んだぼくは「この本は危険だ」と直感を働かせ、「最終巻の展開だけをささっと読む」という、物語を味わう上で「一番やってはいけない方法」を取り、無理やりこの漫画への興味を断ちました。

余裕のある今読み返したら、ある程度は違った観点から、そして純粋に楽しみながら読めるのかなぁなんて考えています。やっぱり最終巻は読まなきゃよかった。

 

ではでは

 

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