後藤を持ちながら

後藤を持ちながら

吹奏楽から仮面ライダーまで

本の皮

こんにちは、トサカです。

avoirgoto.hatenablog.com

以前、積読サイコーという話を書きました。

今現在も、積読をためている現状です。そう、「ためて」います。

今日は積読をしていたために「おこった」ことを書きます。

 

突然ですが、いま皆さんの家にある本のタイトル、すべて言えますか?

好きな作家の本が何冊あって、あのマンガは何巻まで持ってて、捨てるに捨てきれない教科書も含めると…と考えていくと、持ってる本って結構あるんですよね。どんな本を持っているかをすべて把握するのは難しいと思います。

ぼくは、一気に10冊も並行して読むことはできないので、優先度の高い、読みたい本を二、三冊選択して、あとは本棚にしまっています。

ただ、毎日本棚は目に入るので、自分の家にどんな本があるか大体は把握していた「つもり」でした。

 

昨日、ツイッターをなにげなく眺めていると、めちゃくちゃ面白そうな本が紹介されていました。

この本面白そう!買いたい!と一瞬思った直後、ぼくは本棚に走りました。

ちゃんと探してみるとその本がありました。既に持っていたのです。

 

なんで持ってるのを忘れていたのか。それは本が目の届かないところにあったから。

ではなんで目が届かなかったのか。それはブックカバーをしていたからです。

本棚から見えるのは基本的に背表紙のみ。背表紙に書いてある題名が意識の中に入るたび、彼とぼくの「会話」が始まります。たとえそれが一日の中で一瞬の出来事だとしても、毎日続けていれば自分の頭の中における「その本の存在感」が増幅されます。

彼とぼくの会話を、ブックカバーは断絶していました。

 

ブックカバーをつける。「何を読んでいるか」を知られないことはかなり大きな利点なのだろうと思います。自分がどんなことに興味を持っていて、どんなものを楽しんでいるかを、見ず知らずの人々に知られるのは確かに抵抗があることかもしれません。

でも、ブックカバーのせいでぼくはこの本の存在を、我が家に魅力的な本があるという事実を忘れてしまっていたのです!信じられない!!

 

ぼくは日曜日のお昼という時間帯に、このどうしようもないぽんこつな怒りを抱えてしまいました。(冷静になった今振り返ると、ただただ忘れっぽい自分のせいですね。)この時間はもっといろんなことができるはず、有意義な時間の使い方をしなきゃいけないはずなのに、なぜ俺はブックカバーに対して自身の頭のリソースを使って怒らにゃいかんのか。危うく「あ、二冊目買っちゃった。テヘ」みたいなアホツイートをするところだったではないか。ブックカバー許すまじ。

 

腹の虫がおさまらない。今日のブログではブックカバーの悪口を書いてやる!と意気込んだぼくは、とりあえずネタになりそうなものはないか検索しました。

ありました。

 

書皮友好協会

 

ブックカバー同好会だそうです。世の中色々なものを好きになる人がいるんだなぁ。

 本屋さんはお客さんに話しかけないけれど、「カバー」のデザインでお店の主張をしていると、私たちは考えています。
本屋さんが書皮に込めたメッセージに思いをめぐらせたい。
秀逸書皮を探し出して、みんなで讃えたい。
それが書皮友好協会です。

商品よりもそれに付随するものの方に、その店の商売に対する姿勢が表れる。という主張には納得です。

ブックカバーを好きな人たちのその根拠を眺めていて、心の中で燃え上がっていたしょうもない怒りが収まりました。

 

個人の経営する書店そんなに見ないからな。彼らの活動もだんだん先細りになっていくのだろうか…。なんてことをしみじみ考えながらアイスを食べ、貴重な休日をだらだらと有意義に過ごすことができました。

 

ではでは。