恐怖との付き合い方
こんにちは、トサカです。
昨日金曜ロードショーで「オデッセイ」を観ました。めっちゃ面白かった。
大まかなあらすじは「火星に取り残された男が、地球に帰る」という単純な話なのですが、これが本当に良くできている。
この話はフィクションだし、絶対にありえないシーン(火星には砂嵐は発生しない)もあります。しかし、宇宙に関する知識に明るくない自分にとっては、そんなささいなことが全く気にならないほど没入できました。圧倒的な説得力がそこにはありました。
第一級品の頭脳と肉体を持つ宇宙飛行士(宇宙滞在士?)が、火星で一人生き残るために自身の持つ資産を全て懸けて様々な困難に立ち向かいます。
火星という不毛な土地は、人が生存していくにはあまりにも過酷な環境で、何度も何度も「こんなの死ぬしかないじゃないか…。」と言ってしまいそうな場面が続きます。でも、彼は持ち前の知識と執念、そして周りの人たちのサポートによって乗り越えていきます。
結局この話では「奇跡」なんて起こりませんでした。登場人物全員が「彼を生きて地球に帰す」ことを目標に、実現可能な最善の手を打ち続けます。それぞれのバックボーンや考え方が違うために対立してしまうこともありました。でも根底に流れる想いは皆同じで、主人公を含めた全員が「今あるリソース」と「知識」から得られる最善手を打ち続けることで、最後につながったのだと思います。
この映画を観ていて、ぼくは先日起こっていた「タイの救出劇」を思い返していました。助ける側/助けられる側がそれぞれ最善手を打ち続けたことで、いい結果がもたらされるところがすごく似ています。
サッカーチームの子供たちがコーチとともに洞窟に入ったものの、豪雨の影響で外に出られなくなってしまったのです。
雨脚がどんどん強くなっていく中、タイの海軍や政府、そして全世界から集まったダイバーが知恵と力を結集して彼らを救うプランを考えていきます。
また、洞窟内では仏僧であるコーチが子供たちに瞑想を教え、パニックにならぬよう彼らを諭していたそうです。彼の教えがあったからこそ13人全員が生き残ることができた、という意見もたくさん見かけます。
マット・デイモンと13人のサッカーチーム。彼らに共通していたのは「死と孤独の距離が非常に近いこと」です。
どちらも救助が来ない、物資もない、非常にギリギリの状態だった。そんななか彼らを守ってくれたものは何だったのか。
オデッセイでは、彼を恐怖から守ったものは科学知識でした。
主人公であるマーク・ワトニーは「植物学者」の博士号を持っていました。その知識を生かして食料を増やすための「自家菜園」を火星に作り上げました。
映画とは真逆で、サッカーチームを恐怖から守ったものは宗教でした。
集団でパニックになりそうなところを、神の教えがギリギリで引き留めていました。
どちらもあらゆるものを奪われてしまった状況で、「自分の身体に染み付いた知識」によって救われています。それが科学か宗教かの違いなだけです。
科学と宗教はあまりかみ合わせがよくない、という風に言われる理由は、そのスタンスの違いにあると思います。科学は基本的に「疑う」姿勢で世の中を見ているのに対し、宗教は「信じる」姿勢で世の中を見ています。
でも、どちらも「人を救うためにある」のだと、映画を観再認識しました。
それと同時に、いま自分が死と孤独の恐怖に押しつぶされそうになったとき果たして何が救ってくれるのか。なんてことも考えていました。やっぱもうちょっと真面目に勉強しなきゃなぁ~。
ではでは