後藤を持ちながら

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吹奏楽から仮面ライダーまで

バカになったこと

こんにちは、トサカです。

 

「○○してると馬鹿になっちゃうよ!」というセリフ、誰しも一度は聞いたことがあると思います。

○○の中身は多種多様。古くは文庫に雑誌、ケータイテレビにゲームやスマホ、目の敵にされるのは、「当時流行している」「手軽に没頭できる」「娯楽」が多いです。

結構この言葉自体が「馬鹿にされている」風潮がありますが、ぼくはそう思えません。なぜならぼくは「本によってバカになった」人間だからです。今日はぼくをバカにした本について話します。

 

小学生のころのぼくは、引っ込み思案で大人しい子供でした。

小学生という小さなコミュニティでは、「運動能力」がそのまま住む世界に直結していました。運動ができる子が人気者になり、運動ができない子が日陰を歩く。ぼくは石の裏でじめじめと住むダンゴムシみたいな小学生でした。

もちろんダンゴムシなので行動が制限されるほど交流できる範囲が狭いなんてことはなく、日なたにいる人たちともかかわり、話し、遊ぶこともありました。

でも、心のどこかに悲観的な自分がいるのです。どうせこの人たちのようには輝けない。仲良くしてくれる人たちがみんなすごくいい友達ばかりだったので、それがすごく眩しくて、自分以外の人間は日なたにいるのではないかなんてことをしょっちゅう考えていました。

 

そう、この頃のぼくはかなりのマイナス思考でした。

どれだけ勉強を頑張っても上っ面の言葉をもらえるだけ。歌がうまかったり、ダンスができたり、野球でばんばんホームランを打てたり…、そんな人たちがすごく輝いて見えました。そして、自分にその才がないことにひどく落ち込んだりもしていました。

 

いつも心に好奇心! 名探偵夢水清志郎VSパソコン通信探偵団 (青い鳥文庫)

いつも心に好奇心! 名探偵夢水清志郎VSパソコン通信探偵団 (青い鳥文庫)

 

 

この本に出会うまでは。

 

この本を買ったのはいつだったかあまり覚えていません。小学五年生くらいだったかな?

小林少年にあこがれていたぼくは、好奇心を「ミステリー」と読ませるそのタイトルに惹かれ、なけなしのお小遣いを使ってこの本を買った気がします。親にねだって一銭も払っていない気もします。

ただ、そのタイトルと分厚さ(小学生のぼくにとって416ページの本なんてありえないほど分厚い本だった)に魅せられて買ったことだけは覚えています。

 

この本は、青い鳥文庫の二大ミステリーである「夢水清志郎シリーズ」と「パソコン通信探偵団」の新作を一冊にまとめた本です。

とはいえ、普通にまとめるだけじゃ面白くないので、ある一つのルールを加えました。それは、「4つのキーワード」に沿った物語を作ることというものです。

「クイーン」「ジョーカー」「飛行船」「人工知能」の四つを絡めた物語にすること。全くアプローチは違ったものの、どちらも面白い話でした。

 

特に、ぼくはこの「夢水清志郎」という男がすごく魅力的に思えました。

名探偵の彼は観察力と洞察力はぴか一。「みんなが幸せになるように」事件を解決することが、名探偵としての至上命題と考えています。

こう書くと立派な人間ですが、いろんなものを犠牲にしています。

例えば常識。ひらがなが上手く書けず、「ね」と「わ」を間違えてしまったせいでクイズ大会の賞金を逃してしまったこともあります。

例えば記憶力。昔解いた事件はおろか、生年月日や自身の名前すら忘れてしまいます。また、「本当に」寝食を忘れて本を読み、死にかけたこともあります。

 

ぼくは小、中学校で彼の物語をたくさん摂取しました。日常の隣に潜む非日常の見せ方や軽妙な語り口、そしてなにより、登場人物が「お気楽で楽しそう」なことがうらやましくて、ずっと読んでいました。ずっと読んでいられました。

シリーズの一番最初である「そして五人はいなくなる」から、最終作(実際はまだ続きますが)の「卒業 ~開かずの教室を開けるとき~」まで、きっちり読みました。

 

そして、読んでいるうちに自分の考え方が変わっていったことに気づきました。

眉間にしわを寄せながら生きていたって、人生楽しくなるわけじゃない。それなら、ちょっとくらいバカになって楽しく生きたほうがいいんじゃないか。そう考えられるようになりました。

この「夢水清志郎シリーズ」は説教くさい人生論なんて語ってきません。でも、「ポジティブな考え方」をしている人たちが、最高に楽しんでいるのを見ていくたびに、「自分も変わったほうがいいのかもしれない」と思えてくるのです。

 

結果、ぼくはポジティブ思考な「バカ」になってしまいました。

ただ「楽しく」を合言葉に生きる。これを胸に今日まで生きてきました。楽観的です。

それでいい人生を手に入れることができたかどうかはわかりません。しかし、今をそこそこ楽しめてるという点では、まあバカになれてよかったんじゃないかと思います。

 

さて、この「バカになる危険性」ですが、どんな「娯楽」にも潜んでいるんじゃないかとぼくは思います。

手軽に没頭できる娯楽の登場人物には、「なりたい自分」「理想の自分」が隠されていることが多いです。まぁ、そう思ってもらえるように作り手の人たちは頑張ってますからね。

「理想の自分」がすぐ近くにいて、彼らと娯楽を通じて「対話」する。このことが人格に与える影響は、決して小さくないものだと思います。

 

まぁこれがいい方向に向くかどうかは完全に運なんで…。最初から禁止したくなるのもわからないこともない。うーん塩梅が難しい問題です。

 

ではでは。