後藤を持ちながら

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吹奏楽から仮面ライダーまで

自分は大丈夫

こんにちは、トサカです。

 

大学生の端くれとして、ゼミで「計画錯誤」という心理学に関する事象について研究していました。

人は「過去に計画通りにいかず、失敗してしまった経験がありながらも、プロジェクトの感性に必要な時間を過小評価する」という傾向にあります(Kahneman & Tversky, 1979)。 これを「計画錯誤」と呼びます。

あまり詳しくは書きませんが、ぼくはゼミでこの事象に関する発表を行いました。簡単なアンケートを取り、そのアンケートから方向性を見出す、または見出せなかったことを報告するというものでした。

 

当然ながら、「計画錯誤」に関して人よりも学んだ自負はあります。テーマに関する論文や文献を読み、それらを体系的にまとめ、発表に活かせるよう勉強していました。計画錯誤とは、「過去に計画通りにいかず、失敗してしまった経験がありながらも、プロジェクトの感性に必要な時間を過小評価する」という心理現象である(Kahneman & Tversky, 1979)。そのことは(おそらく)多くの大学生より理解していたつもりでした。

そう、理解していたつもりでした。

 

発表が二週間後に迫り、ぼくは教授をすがる思いで教室へ向かいました。予想以上に出来あがってなかったのです。確かに「締め切り」に間に合うように調査、資料製作をしていたはずなのになぜ…?こういった資料作りは苦手なので時間を取ってやりたかったはずなのに、まだデータ解釈の方法も危うい…。

結局二週間では完成しなかったためこの回は発表を諦め、次回に回してもらいました。

「過去に計画通りにいかず、失敗してしまった経験がありながらも、プロジェクトの感性に必要な時間を過小評価する」(Kahneman & Tversky, 1979)。図らずもぼくは、身をもって「計画錯誤」という事象を体感しました。完成しませんと宣言したときのあの空気感は恐ろしいものでした。

 

 

学問でその存在が立証された心理的な事象は、「存在を知っている、学んでいる」ことや、「意識して気を付ける」程度では抗うことはできません。この事象がリスクとなりうる場合は、「リスクを見越して計画を立てる」「リターンのため、リスク承知で実行する」などの対策が必要であることを知りました。

でも、それ以上に衝撃だったのは、「自分は大丈夫だ」と無意識に考えていたことです。きちんと学んでいたから、何回も発表で失敗してるから、今回はきちんと計画を立ててるから、大丈夫。そう考え、何度も無残に散っていたことを忘れ、今回もぎりぎりまで準備(というかその回は失敗)してしまっているのです。

 

「自分は大丈夫」病は、おそらく世界レベルで人間を蝕む病気だと思います。知らず知らずのうちに「感染」してしまい、その色眼鏡でしか世界を見ることができなくなってしまいます。その人の特性などではなく、この病は誰もがかかる危険性があります。かつ、自覚症状も薄いため時に危険な目に合うこともあるでしょう。

ぼくはこの「自分は大丈夫」病で痛い目にあって以降、なにかと色眼鏡をかけていないかを確認します。そして、意外と普通の生活の中でこの色眼鏡に頼っている機会が多いことに気づけました。皆さんも一回眼鏡をかけてないかチェックしてみると、驚くことがあるかもしれません。

 

ではでは。