後藤を持ちながら

後藤を持ちながら

吹奏楽から仮面ライダーまで

疑うことと信じること

こんにちは、トサカです。

 

「教養」という言葉をよく聞くようになったのは、たぶん5,6年前くらいだったと思います。この時期から、「教養」という言葉がやたらと本のタイトルや諸々のサイトで見かけるようになったことを覚えています。日々の生活において「必須ではないもの」を勉強しているサイレントマジョリティーを発掘し、立派な市場に仕立て上げたこの「教養」というジャンル分類の勃興を見て、高校生のぼくは「これが需要の発掘か」とかなり感心しました。

ただ、大学生になった自分にとって「教養」とは、世に言う「教養原論」の授業のことでした。専攻の学問に加え、「知見を広く持つ」の名のもとに、なるべく楽で簡単で興味を惹かれるものを取ろうと考えていました。

 

大学で学ぶ「教養」の授業のなかで、ひときわ印象に残っているものの中に「科学史」という授業があります。

千円札に書かれてある野口英世のような髪型と髭をこしらえた教授が、科学はどのような要因で発達してきたのか、どのような人物が科学の発展の底を押し上げたのか、科学が背負うべき責任とは何かを力説してくれました。

特徴としてはとにかくガリレオガリレイを教授が推してきます。彼の測量技術がなければ今の科学の形は存在しないのだという話は、耳にタコができるほど聞かされました。また、宿題レポートが多く、何かを書く習慣がなく、また科学に関する特別な関心もなかった自分にとってはなかなかしんどい授業でした。

 

ではどういったところが印象に残っているのか。それは科学史の授業が佳境に入った時です。

様々なテーマと角度から「科学が積み上げてきた歴史」を取り上げてきたこの授業。最後のテーマは「科学と宗教」の関係性について取り上げられました。

ガリレオのことが好きで好きでたまらない英世ラーは、彼の科学を否定した当時の宗教家たちをコテンパンに批判します。根拠を提示したガリレオが批判され、神の存在を肯定するためだけに彼を貶めた宗教家たちを許せない。実際にその場に当時の裁判員の方がいたら、そのまま彼らを焼き討ちしてしまうのではないかと思えるほど、英世ラ―は白熱していました。

 

しかし、彼は宗教自体を毛嫌いしているわけではありませんでした。

「科学は疑うことをベースにしているが、宗教は信じることをベースに存在している。そして、宗教は科学では語れない領域に手を差し伸べられる可能性がある。」という言葉は、いまでもよく覚えています。

死んだ人たちはどこへ行くのか。これから自分はどんな生き方をしたらいいのか。そういった個々が抱く悩みに、科学は答えを出してはくれません。そのほかのあらゆるツールと同じように、科学にも得意なことと苦手なことがあるという、ある意味当たり前のことに気づかされました。そして、そういった悩みの答えに各々が辿り着くために、宗教は形を変えて生活に浸透すると教授は仰っていました。

 

ぼくは、「あの」宗教団体が起こした事件が起きた年に産まれました。あのセンセーショナルな事件が頭の片隅にあるので、なんとなく宗教というものを忌避していました(クリスマスとかは普通に祝いますが)。

でも「根拠なく信じられる」ものがあることの強さを、ここ数年で何度か見てきたし、体験もしてきました。何かを信じることができるという点から見ると、宗教、もしくはそれに代わるものが必要な人は世の中に多くいるような気がします。

 

ではでは。