後藤を持ちながら

後藤を持ちながら

吹奏楽から仮面ライダーまで

リアリティ

こんにちは、トサカです。

 

キルラキルを観ています。昨日5話まで観ました。

 

5話までの感想はだいたいこんな感じです。アツくてアツくてとにかくアツい、こんなバカな感想がよく似合うアニメです。

 

このアニメの好きなところは「世界観がバカ」なところです。決して「馬鹿な世界観」というわけではありません。キルラキルはみんながみんなボケまくるギャグ世界の話ではないし、「世界観がだんだんずれていく」ことでみんながボケだすヘボット世界のような話でもありません。ただただ「世界観がバカ」なのです。

 

権力的にも身体的にも強いお嬢様の生徒会長、鬼龍院皐月が牛耳る「本能字学園」。着た者が特殊な力を預かる「極制服」の流通を司る彼女は、その多大な影響力により本能字学園を街ごと支配しています。

彼女の傘下に下りし者は、その「極制服」に袖を通すことができます。その人が持つ力を最大限にまで発揮させることができる「極制服」によって勢力を強めてきた本能字学園は、「全国制覇」を目前にしています。

そんな学園に転校してきたのが、主人公の纏流子。父の死の謎を解く手がかりである「片太刀バサミの女」を探しに、この学校までやってきました。 「片太刀バサミの女」について何か知っているような鬼龍院皐月を見て、纏流子は彼女に突っかかりますが、「極制服」を着た親衛隊にボコボコにされます。

失意の中ボロボロの我が家に帰った纏流子は、廃墟のような我が家に地下があることを知ります。降りていった先で彼女は、喋るセーラー服と出会います…。

 

というようなお話です。ぼくもまだ最後まで観たわけじゃないので、これからどうなるか楽しみです。

 

ただ、やはり観てほしいのはこの圧倒的な世界です。これは観てみないとよくわからないと思います。

 

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あっつくるしい一人ひとりのキャラ立ちに負けないくらい、「ありえない街並み」にぼくは惹かれました。

学校が街の頂点に君臨し、そこから階層ごとに分けられる住居。日常茶飯事に行われる暴力。よくわからない構造の服たち。舞台の小道具のごとくずらりと並べられた市井の人々と一般生徒。衝撃の連続でした。

なんというか、どう考えても「いやそういう風に歴史は転がらないだろ」と何度も突っ込みたくなるような「世界観」なのです。学校の立地は絶対そうはならんやろとか、なんで近所のおばちゃんたちがスクールバスに銃撃てるような環境があるんだよとか、ひたすらに狂った世界に人々の日常を見せられることで、なんだか笑ってしまうのです。この世界の中にいる人たちが真面目に暮らしていれば暮らしているほど、その世界の「突拍子のなさ」が浮き彫りになるのです。これが、ぼくがキルラキルを「世界観がバカ」と表現した理由です。

 

***

 

なにかの物語が絶賛されている時の文言の一つに「リアリティがある」という言葉があります。これまでぼくはこの言葉を「現実に近い」くらいの意味でしかとらえていませんでしたが、ぶっ飛んだ世界観であるキルラキルに「リアリティ」を見出してから、ぼくは言葉の精査に入りました。

圧倒的におかしい、リアルから遠い世界のはずなのですが、確かにキルラキルでは「その世界に住む人々」の息遣いが聞こえてきます。ここまで学校の性質が体育会系で、すさまじい立地の町になっているなら、「登校」で一話使ってしまう程の大イベントにもなるでしょう。

 

とある世界に住んでいる人たちが、きちんとその世界に適応した生き方をしていること、その世界の風土や文化にちなんだ生活を過ごしていること。これこそが物語で言う「リアリティ」なのではないでしょうか。

そういった意味では、キルラキルは間違いなく「リアリティのある」アニメだと思います。いやあ面白い。早く続きが観たいわ。

 

ではでは。