後藤を持ちながら

後藤を持ちながら

吹奏楽から仮面ライダーまで

8月35日

こんにちは、トサカです。

 

ぼくの中の「オールタイムベスト」の一つに、「伊坂幸太郎」の「重力ピエロ」という話があります。

グラフィティアート。遺伝子。放火犯。そして重力を飛び越える「最強の家族」が一本の糸に収斂していきます。物悲しく、重苦しい重力もきっと軽々と飛び越えてしまう「家族」をテーマに描いています。

 

その中でもひときわ印象に残っているのが、主人公の母親です。

母は、『気休め』が好きだった。

『その場限りの安心感が人を救うこともある』とたびたび言っていたし、父が仕事で思い屈している時には、豪勢な手料理を用意し、『人を救うのは、言葉じゃなくて、美味しい食べ物なんだよね』と断言した。

食べたとたんに消えてしまう食べ物は、彼女にしてみれば何よりも『気休め』だったのだろう。春はよく、『気休めっていうのは大切なんだよ。気休めを馬鹿にするやつに限って、眉間に皺が寄っている』と言うが、それが母の影響だということには気がついていない。

 

何度か話していますが、中学生くらいまでの自分はどちらかと言えば悲観的で、それを表に出すタイプの人間でした。本質的なところは今でもそこまで変わっていないと思いますが、表面的なところではだいぶ楽観的になれるようになったと感じています。

これを初めて読んだときの感想は「意味が分からない」というものでした。「その場限りの安心感」なんてすぐに消えてしまうのではないか。そんなものを探求するよりも、少しでも早く問題を解決させるために動き出したほうがいいんじゃないか。そんなことを考えていました。確かにあの頃は、今よりも眉間に皺が寄っていたかもしれません。

 

あのころは自分がなんでもできる、この世界に乗り越えられない壁はないと考えていた時代でもあります。「億万長者になるぞ!」とか「超人になって世界を変えてやる!」なんて現実離れな妄想はしていませんでしたが、自分がほどほどの欲望をキープさえすれば難しい課題はぼくのところにはやってこない、決してこの世に解決できない問題はない、世の中はイージーにできていると無意識に考えていたような気がします。あまあまのあまちゃんですね。

割と人生への態度は変わっていません(自身への期待をほどほどにし効率のいい満足を得る)が、そんな態度であろうと「解決できない課題」はわんさかやってきます。他人の考えに左右されるためにどうにもならないこと、昔に起きてしまったどうしようもなく悲しいこと。あのころはそういったことがあることを知らなかったために鈍感でいられたのですが、年を取るとそうもいきません。

そんなとき、どうしようもなく行き詰まってしまったときに「気休め」の偉大さを知りました。重苦しい出来事が続いたせいで身動きが取れなくなったとき、なんてことのない動画や本、そして人とのコミュニケーションで救われた経験が何度もありました。どうしようもなく重たかった苦しみが、「気休め」によって脱がせる。そんなイメージです。

 

***

 

おおよそ10年ほど前の「いじめられている人への声かけ」は、「戦え」というものが多かったと思います。いじめている相手を見返そう。絶対に負けないで。

ここ最近は、これが「逃げろ」というものへ変わってきたと思います。辛ければ休めばいい。受け入れてくれるところはたくさんある。

ぼくもかつていじめられていたことがあります。一人の女子からです。幸いなことにクラスみんなから無視されるほどの「ブーム」は起きなかったのですが、その執拗さは自分が「学校行きたくないな」と思わせるのに十分すぎるほどのものでした。

 

では、もしここで「戦え」「逃げろ」というアドバイスをされていたらぼくはそれを聞いていたか?きっとぼくはどちらも実行することはなかったでしょう。彼女を見返すほど何かを頑張ることも、彼女を避けるために学校へ行かないこともぼくは絶対とらなかったでしょう。なぜなら「自分の人生のリソースを彼女に割きたくない」という強い意志があったからです。

どちらの戦法を取るにせよ、ぼくは彼女の顔を思い浮かべる必要があるのです。ぜっっっったいにそんなの嫌だったので、クラスにいる間はなるべく下手に刺激させないように、それ以外の時間はめいいっぱい楽しむようにしていました。程度が軽かったというのもありますが、中学校が嫌な思い出にならなかったのはその意志を貫けたからだと思っています。

 

あとから考えてみると「戦う」と「逃げる」の間には無数の選択肢があって、ぼくもその中の一つを選び取っていたにすぎないのだと思います。もし、この文章が憂き目にあっている学生に届くなら、決してこの二つの選択肢だけで考えないでほしいです。その間には無限の選択肢があって、現在の自分の環境と合致したものを選び取ってほしいです。

そして、その無限の選択肢の中の有力候補に「気休め」は絶対に入ります。なんてことない娯楽を消費したり、些細な話をしたりするだけでも身体は軽くなります。絶対に。一度騙されたと思ってやってみてほしいです。

 

と、言うわけできょうは台風のおかげで偶然できた休日としてゆっくりします〜。

仕事の進捗は悲惨だけど、しっかり「気休め」するぞ〜

ではでは。