後藤を持ちながら

後藤を持ちながら

吹奏楽から仮面ライダーまで

視線はまるで

こんにちは、トサカです。

 

帰りがけに吉幾三の「おら東京さ行ぐだ」を歌いながら、体感したこともない田舎暮らしに思いを馳せていました。電気のない暮らしがそこまで珍しくない時代っていつ頃の話だろうか。大学時代はテレビもラジオもなく、車もそれほど走っていないところに住んでいたな。あのマンションの管理人さんは元気だろうか。そんな時、ある歌詞がふと気になり始めました。

レーザーディスクは何もヌだ?」

何者なのでしょうか。ぼくもこの曲を聴くまでその存在を認識していませんでした。(二回ほど見たことはあります)

 

世界の理が載ってあるWikipediaで調べてみると、レーザーディスクは「絵の出るレコード」というキャッチコピーのもと世に出されていったそうです。一番大きいものでおよそ30㎝、CDのようにきらきらとした面に光を当て、最大で二時間分の映像を流すことができるそうです。

ただ、レーザーディスクのプレイヤーの国内普及率がようやく10%を越えてからわずか四年後に、DVDが発売されました。安価で、コンパクトで、レンタルにも進んで参入したDVDを前に、高品質路線で進めていたレーザーディスクはなすすべもありませんでした。

 

ここでは、昨今のストリーミング配信が飛ぶ鳥を落とす勢いであることと似たようなことが起きていますね。ずばり数を抑えることができた媒体にいい風が吹くようになっています。

レーザーディスクは先述のレンタル禁止に加え、圧倒的に生産ラインが細かったそうです。録画の出来ないレーザーディスクが事業として成り立つためには技術の優位性はもちろんのこと、圧倒的に質のいいコンテンツを販売しなければ普及率を高められないと考えていたらしく、そこを埋めるため、主な販売元であったPioneerはたくさんの洋画をレーザーディスク化し、自社リスクのもとでコンテンツを販売していたそうです。しかし、あまりにも作品の種類が多いために供給が追い付かず、発売された月に廃盤となるような作品もあったそうです。

のちに出現したDVDはその圧倒的な物量とビデオと比較した時の高価さで、市場を圧倒しました。レーザーディスクは一度もトップに立つことなく、2007年に製作を中止されています。

 

新たな製品が世に出回った時、人間の行動はその製品に飛びつく速さによって五種類に分けられます。新しいものが好きなイノベーター、新しいものの中でいいものに対する嗅覚が鋭いアーリーアダプター、多数派であり、ここに火がつくと一気に市場が拡大するアーリー・レイトマジョリティ、保守的であまり自分の生活を変えたがらないラガードです。

ぼくの家族はわりと流行ものに疎く、保守的な生活を行っていました。ぼく自身もその地を強く引いていると感じることがたまにあります。映像媒体に関してもそのラガードさを発揮しており、ぼくが小さかった頃からずっと大事に大事にビデオデッキを使っていました。結局このデッキを買い替えるときにレーザーディスクという選択肢はありませんでした。

ここまでレーザーディスクについてちゃんと考えたのは、ひょっとすると人生で初めてかもしれません。でも、図書館であったりカラオケであったりとまだ使用できるところは存在しているらしいです。画質は当時の他の媒体と比べてかなりいいものらしいので、一回上映されてるところを観てみたいです。

 

ちなみに、ぼくは「レーザービーム」よりも「ねぇ」の方が好きです。テレビもねぇ。ラジオもねぇ。

 

ではでは。

ねぇ

ねぇ

 

 

参考

LD

http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/pdf/085.pdf