後藤を持ちながら

後藤を持ちながら

吹奏楽から仮面ライダーまで

3のない世界

こんにちは、トサカです。

昔のささいな体験が頭から離れない。そんなことってありませんか?

今日はその中でも比較的しょーもない話を真面目にしたいと思います。

 

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昔読んだ漫画でこんなセリフがありました。

 

「2の次を教えてくれないか?」

 

そうです。3です。

口にするのも馬鹿馬鹿しくなるほど、当たり前の知識として通っている、「2の次は3」という概念。

 

たしかギャグ漫画だったと思います。

このセリフを言った人はいわゆる「ボケ役のヤンキー男子」で、常識ある高校生主人公が彼にどうにかして教えようと奮闘する話だったはずです。

 

ただ、自分にとってはこのセリフ、「2の次」の教え方というテーマがあまりにも強烈でした。

まさか1から10を覚えられない人がいるなんて。

というか、そこに疑問を抱くなんて、ただの高校生ヤンキーにしてはあまりに質問が鋭すぎる。

 

結局話の展開もオチもろくに思い出せぬまま、今日を過ごしています。

 

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もし、今自分の前に「2の次」を教えてほしい友達がいた場合、高校生の自分ならどう教えるかについて考えてみました。

 

まずは、「数字という概念に対する理解の方法」を明らかにするでしょう。

彼の住む「3のない世界」はどんなものなのか。「3」つのパターンが考えられます。

 

1.「3」アレルギー

 

まず、3について考えるとじんましんが出るため、意図的に3を避け続けた結果、3という概念を忘れてしまった結果、「2の次を知らない」パターンです。

 

これは生得的なアレルギーだけでなく、個人の事情も考慮に入れるべきでしょう。

親が厳しく、「3」に関係するものすべてを排除されて幼少時代を過ごした人。

3人で話すといつも自分だけ話を聞くだけの人間になってしまうので、3という概念を避けてしまった人。

彼女に「祝!3年!これからもよろしくね〜」とラインしたら翌々日に別れを切り出された人。

 

「3」と関わりたくないという外的要因は様々です。

しかし、症状はショックからの「3という概念の忘却」なので、このパターンの人だったら、まずは優しくトラウマに寄り添いながら、少量の3を少しずつ与えていくことが最適解だと思います。

 

2.「3」を覚えられない

 

続いて、3を覚えられない。というパターンです。

3の概念を理解しているにもかかわらず、3という概念に「3」という名前がつけられていることを知らないがために、「2の次を知らない」と発言してしまいます。

 

この場合は、この友達と一緒にカラオケに行きましょう。

そして、いっしょにかぞえうたを歌いましょう。

「いっぽんでもにんじん」をはじめとして、探せばたくさん出てくると思います。

こうすれば、どんなお友達でも楽しく「2の次」が覚えられると思います。

 

3.3のない9進法の世界に住んでいる

 

最後に、友達が3のない9進法の世界で過ごしてきたパターンです。

0,1,2,4,5,6,7,8,9という暮らしでこれまで不自由なく行きてきたものの、最近になって自分と周りの数え方、つまり世界の捉え方が違うのではないかと疑い、「2の次を教えてほしい」と問うパターンです。

 

断言します。彼は天才です。

「数え方」なんて小さい頃から決まり切ったもの。普通の人なら疑う支線を持つことすらしません。

しかし、この友達は違う。

自身の数え方よりももっといい方法があるのではないか?自分が無邪気に信じていたものに疑念を問いかけることができる立派な人間です。

 

もしこんな話を友達からされたら、自分は彼にいい大学に進学することを勧めます。

その頭脳には世界を変える無限の可能性が秘められている。その機会、ぜひ生かしてほしい…。

 

自分が読んだ漫画の中の彼は、いったいどのパターンだったのでしょうか。ちょっと気になります。

 

ではでは。

 

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