感想の流用
こんにちは、トサカです。
毎週日曜の朝は、テレビの前に座ってそのときが来るのを心待ちにしています。スーパーヒーロータイムです。
仮面ライダービルド、そして快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャーの活躍を観終わってから、ぼくは残り少ない休日をどう過ごすか考え始めます。
テレビがない頃はケータイのワンセグで必死に電波を拾いながら観ていたので、何が起こっているかわからない時が往々にしてありました。
小さい画面だと戦闘が映えず、カクカクで誰が誰と戦っているか把握できません。また、いいせりふを言いそうな場面で電波がいきなりゼロになり、結局なんて言ったかわからずじまいの時もありました。
ケータイだけだとどんなふうに物語が展開しているのかがわからない…。そんなぼくの心強い味方がツイッターでした。
ツイッターを見ていると、いつ話が盛り上がっているのか、誰がどんなことを言ったのかがはっきりわかります。ケータイに電波が入りづらくなったらツイッターを見て、脳内で彼らの活躍を補完していました。こう改めて文章にすると辛いものがありますね。
そのときの名残で、ツイッターを見ながら特撮を観ることが習慣になっていました。
しかし最近、どうもこの「ながら観」がよくない影響を与えているような気がしてきました。
感想が出てこないのです。
ビルド、ルパパトは相変わらず面白いので、何にも考えずに観ているなんてことはありません。なのに、いざ感想を形にしてみようとすると、これが全く出てこないのです。それはなぜか?
自分が考えていたことを、すでにほかの人が「もっと上手な言葉で」呟いているからです。これ、ツイッターを観ながらなにかテレビの番組を観たことのある人なら多かれ少なかれ共感してくださるのではないでしょうか?
テレビを観終わってその興奮と熱がしばらく収まったころ、ようやく感想が言葉の形になって、身体の外へ出ていきそうになります。それなのにツイッターを見てみると、自分と同じことを感じた人がもっと魅力的な形でアウトプットしているという体験が何度もありました。
これが続いてしまうと、「外から借りた意見」をいつの間にか「自分の真の意見」とすげ替えてしまうのです。
自分も少しは考えていたけど、結局ほかの人の意見の方が「うまく言えてる」ので、それにただ乗りしてしまい、自分の感性を腐らせてしまっていました。無意識に人の意見を流用しそうになる自分がいたことに気づいたのが本当に最近です。でも、気付けて良かった。
ぼくはそこまで頭の回転が速くないほうなので、じっくり番組の感想を寝かせて、「自分の感想」を育ててあげたいなと思います。自分の感性は自分しか磨いてやれませんからね。
…と思ってたんですけど、今週スーパーヒーロータイムおやすみじゃん…。生き甲斐が…。
でも今週は映画があるし、そっちを観に行こう。
ではでは。