後藤を持ちながら

後藤を持ちながら

吹奏楽から仮面ライダーまで

演奏という名のスポーツ

こんにちは、トサカです。

 

村上春樹が物語を書くときに一番必要なものは、持続力だと言っています。机に毎日向かって、自分の中の混沌と向き合う。これを続けていくことができなければ、とても小説家になんてなれないと発言しています。

では、持続力を保つために必要なものはどうすればいいか?

それに対するぼくの答えはただ一つ、とてもシンプルなものです。

ー 基礎体力を身に付けること。逞しくしぶといフィジカルな力を獲得すること。自分の体を味方につけること。

 と、彼は答えています。端的にまとめると、「基礎体力」があるほど考えることに体力を使えると言っています。

 

最初にこの話を聞いた時は「ふーん走るのが好きな作家はやっぱり人とは違うこと考えてるんだな」程度にしか思っていませんでした。

しかし、ある日唐突に、この言葉が確かな「実感」を持ってぼくの中に住み始めたのです。きょうはそれについて話します。

 

吹奏楽部で打楽器を演奏していました。

特にたくさんやらせてもらっていたのは合わせシンバルです。管楽器とは相容れない金属音が、バンド内のアクセントとなって音楽を形作っていきます。

ただ、この楽器は「打楽器初心者がやりたがらない楽器No.1」でもあります。理由は簡単。重いからです。

最初のころは持つだけで精一杯。とくに、ずっとシンバルを持って叩き続けなければならないマーチになると、シンバルは避けられる確率が高くなります。課題曲マーチがシンバルとの最初の出会いになってしまい、シンバルを嫌いになってしまった人を何人か見かけたことがありますが、悲劇としか言いようがない、なんとも痛ましい事象だと思います。

 

シンバルをずっと続けて演奏していると、だんだんと自分の思考が広くなっていくことに気づきました。

最初は楽器自体の重さに気を取られ、あまり他のことを考える余裕がありませんでした。しかし、慣れていくにしたがって、「ここに当てるといい音が鳴る」とか、「BDの子より少し早いタイミングで手を動かそう」とか、「うわ今日のあの子めっちゃ可愛いわ」とか、いろんなことを考えられるようになりました。

 

思考できる範囲を広くできた理由は簡単です。

「体力がついた」からです。

はじめは「叩く」動作についてしか考えられなかったのですが、ひたすら、ほんとうにひたすら叩き続けているうちに「叩く」ことそのものに対して考えている割合は減っていき、その他のことに思いを馳せられるようになりました。

尊敬する先輩が基礎練の時に口酸っぱく言っていたことの一つに、「今日の晩ご飯のことを考えながら叩けるのが理想」という言葉があるのですが、これはつまり「叩く動作」そのものについて考えるリソースをつぎ込まないくらい、身体にその動作をしみこませることが大事だと主張したかったのではないかと、今になって考えています。

ぼくは、その体力を何か別の運動をすることでなく、「演奏という名のスポーツ」をすることによってつけてきました。この体力があるほど、「演奏」するためだけに使っていた脳のリソースを減らすことができ、自己の音楽を省みることができます。

 

結局、あらゆる人間的な所作には「体力」が必要だというのが自分の考えです。その所作をするだけで大きく体力を持っていかれないようにするために、ある人は走り、ある人はひたすらその所作を続けることで体力をつけていく。

体力がつくことによって、ぼくたちはようやくその所作に対して一歩を踏み出すことができます。逆に言えば、その所作を行うだけで疲れないようにするための練習から、ぼくらは始める必要があるのかもしれません。やっぱパソコン触ってるだけで疲れてるようじゃダメだな~。

 

ではでは。