親のふり見て
こんにちは、トサカです。
母親の本棚から適当に本を抜き取って読むのが好きでした。
色々な本がありましたが、そのなかでも一番好きだったのは星新一です。
SF作家である彼の特徴は、その短さにあります。おおよそ4~5000字ほどの文字数で、ぼくらを近未来へ連れていってくれます。
ショートショートの神様とも呼ばれた彼の作品を、ぼくは夢中になって読み漁りました。これもすべて親が本棚に置いてくれて、きっかけをくれたからであります。
でも、母が星新一の話をしてるのを聞いたことがないんですよね。たぶん、子どもが小さい時に読ませたかったからあんな風に、棚に置いてあったんじゃないかと思います。まぁ「日本を維持するために国民を消す仕事なんて怖いよね~」という会話を晩ご飯の話のタネにしちゃうのは、小さいながらになかなかクレイジーな会話だと自覚していました。
ぼくは、感情が昂ったときに鼻歌を歌います。
よく鼻歌を歌っていると、「機嫌いいんだ」といわれるのですが、実際にはそうとは限りません。憂鬱すぎてたまらない時、何か怒りを抱えた際にそれを隠したい時、もちろんいいことがあって嬉しい時。感情が一定量を超え、溢れ出たときに、ぼくはそれが「鼻歌」となって出力されます。
そのときそのときで歌は違えど、歌うという習慣は死ぬまで抜けないと思います。
そして、その習慣は親からの影響がかなり強いと考えています。
父親が、よく鼻歌を歌う人でした。今もたぶんそうだと思います。
正直、父が聴く音楽であるOASISやももクロにはあまり興味を抱けませんでしたが、彼の癖は息子である自分にもしっかり染みついています。
このことを考えると、意外と親の行動様式が自分に染み付いていることに気がつきます。鼻歌を思わず歌ってしまうのも、本を読むという癖も、「親がやっていたから」自分も自然とやっていることに、一人暮らしを始めてから気付きました。
決して「言われたこと」は真似しないけど、「してること」は真似をする。いろんなことに応用できそう。
ではでは