後藤を持ちながら

後藤を持ちながら

吹奏楽から仮面ライダーまで

3652日

こんにちは、トサカです。

 

前にも読んだことがある本を買うという経験を生まれて初めてしました。ゲームでいう「実績解除」ですね。人生の経験値がまた貯まりました。

伊坂幸太郎の「3652」という本です。

 

3652: 伊坂幸太郎エッセイ集 (新潮文庫)

3652: 伊坂幸太郎エッセイ集 (新潮文庫)

 

 

エッセイ集です。

冒頭にある文章を二、三本読んだのですが、どの話のオチも自分の想像とぴったり重なったのです。この時の興奮はなかなかすごかった。自分がニュータイプになったような気分でした。見えるぞ!わたしにもこの先の展開が見える!

それからさらに二本くらい読んで、「これ昔読んだことあるな」と気づきました。覚醒したと思っていただけに残念です。

自分が昔読んだハードカバー版は、確か伊坂幸太郎デビュー10周年を記念して「小説以外の読み物をまとめちゃおう」という形で出版されたものだということを覚えています。今回買った文庫本はさらにパワーアップしていて、2000年から2016年までのエッセイ、読み物、インタビューがついています。毎年書くのに苦労している割になかなか面白さが伝わり切っていないことに苦悩している「干支エッセイ」は一見の価値ありです。作家が追い詰められた時にどんな文章をひねり出すのか、これで少しはわかると思います。

 

さて、ハードカバーにはなかった話の一つに「十年目に考えたこと」というものがあります。そこで書かれてあることは、最近ぼくが物語を体験するときによく意識すること(でも、なかなかうまく言葉にはできなかったこと)が非常に明確な形で書かれてありました。面白かったので、ここに備忘録として残しておきます。

「小説を『旅』に喩える」という話です。

 

旅と一口に言っても様々なものがありますが、とにかく旅行に喩えてみます。そして、話を紡ぐもの、ここでは小説家が、この旅をプロデュースする「提供者」となります。

小説家は、お客様に楽しんでもらうためにまずはどこへ行くかを決めます。観光の名所であるあの仏像は見てほしい。知る人ぞ知るあの街道は歩くと楽しいだろうな。あと、あのテーマパークはアトラクションが多彩だからみんなにも楽しんでもらえるだろうな。そんなことを考えながらプランを考えます。旅行の計画、その日にどこへ行ってどうやってそこの魅力を紹介するかを、彼は小説の「あらすじ」だと考えています。

一方、どういった移動手段を用いるかも旅行のプロデュースには欠かせない要素です。バスに乗せて全員が同じものを楽しめるような形態もよし、車を使って気ままに好きなところに行かせるもよし、自転車を使っていつもの日常とは違った雰囲気を味わいながら観光するもよし。そのプランに合った乗り物を、彼は小説の「文体」だと考えています。

 

すいすい読み進めることができる「エンターテインメント小説」は、車にたとえられます。引っ掛かりなく読み進めることができるぶん、名所をたくさん、もしくはじっくり見られます。一方心の奥深くまで潜るような「純文学」は、自転車にたとえられます。遠くの派手なものまで見に行くことはできませんが、街並み、風景、匂いなど、細かいところをじっくりと見ることができます。どちらにもそれぞれ違った良さがあり、伊坂幸太郎も「どちらとも捨てがたい」という趣旨の発言をしています。

 

これまでぼくは名所ばかりを見てきた気がします。どんな媒体であろうと、根底を貫く物語の核に重きを置き、そこがいかに爆発するかを楽しみとしていたような気がします。しかし、世の中にはそれとは違った楽しみ方もできることを、ここ最近強く感じています。それは、シナリオは三流の映画でも「劇中の小物」から世界観の作りこみをたたえる映画論を観たり、脚本がめちゃくちゃだったドラマの主人公が、二、三年経つにつれてどんどん愛されているのを観たりしたからでしょう。決して作品は「名所めぐり」だけにはとどまらない。そのことを最近は強く実感しています。

 

ではでは。