後藤を持ちながら

後藤を持ちながら

吹奏楽から仮面ライダーまで

母の才能

こんにちは、トサカです。

 

会社のお仕事の一環として、ぼくは数年ぶりにやかんで麦茶を作っています。

麦茶のパックと熱々のお湯をやかんにぶち込んだあと、水を張った桶にやかんを投入して冷めるのを待ちます。二、三時間ほどしたらあとは専用のプラスチックの容器にお茶を入れて、冷蔵庫で冷やします。冷まそう。

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素材はほとんど同じなのに、人の家でいただける麦茶ってだいぶ家で飲むものと違いますよね。パックをお湯に浸す時間はどれほどか、どのタイミングでパックを投入するか、パックは一つか二つか、氷の投入を前提に作るのか。家庭ごとにそれぞれの「麦茶の哲学」が垣間見られます。ぼくもなるべく家庭の味に近づけようとしているのですが、なかなか難しいです。

 

ぼくはこの仕事を通して、「分量を推し量るのが死ぬほど苦手である」ことに気づきました。職場にある麦茶入れは、上の口が開閉するフタと取っ手のついたお茶を入れる容器に分離するタイプの、いわゆるスタンダードなものです。1リットルよりは多く、2リットルよりは少ない容量であると予測できます。

この容器にお茶を入れるのですが、「どれくらい作ればいいか」という目分量を計るのが結構難しいのです。だいたいこれくらいでなみなみに注げるだろうと予測しながらお湯を入れるのですが、その目測は外れます。半分より少し上くらいの量しか作れなかったり、なみなみならぬ量を作ってしまいこっそり排水溝に流してしまったりしました。すまねぇ…。昨日作った時はだいたい七分目くらいの量でした。進歩しています。

 

母には「目分量でぴったり計り当てる」という才能があります。スパゲッティの乾麺や小麦粉をざっと手に取りおもむろにはかりに乗せると、「だいたい」欲しい量を取れています。実家にいたときは何がすごいのかわからなかったのですが、今考えてみるとすごい話ですね…。なんでそんなにぴったし取れるのか。

目分量が当たるたびに「やっぱママは天才かもね~」なんて軽口を言っていたので、そんなにすごくないこと、家事をたしなめば身につくスキルだと思っていました。でも最近はフライパンからあふれてしまう野菜炒めを見ながら、あきらかに少ない麦茶を見ながらなぜその才をぼくに遺伝させてくれなかったのかとたまに考えます。その辺もうちょっと真面目に考えながら生きてみます。

 

ではでは